楞厳寺(通称カラス寺)
 楞厳寺は奈良朝、聖武天皇の天平四(七三二)年、林聖上人の開基である。
 ただし、その後の時代の変遷とたび重なる兵火により、寺坊はことごとく焼失し、その歴史を物語る古記、古文書などの多くも散逸してしまった。
 したがって、歴代住職の事歴も不明のままとなっている。
 しかし、南北朝時代(一三三六〜 九二)の楞厳寺敷地紛失状によれば、寺領はかなり広大であったことがわかる。
 本堂は元禄(一七〇三)、年から宝永五(一七〇八)年にかけて建立。時の住職・盛長法印を中興開山としている。
 尚これより五十年後の宝歴八(一七五八)年に現在の庫りを建築、伽藍が整えられた。
照福寺(庭園)
 枯れ山水の美しさでよく知られる照福寺庭園は、国の名勝に指定された名園です。
本堂及び書院の北側にあり、天保一四(一八四三)年に、当時12世の仙裔和尚によって造られました。
 地元の山石を多く用いたこの庭園は、江戸末期頃の特色をよく表しています。

宝住寺
 この像は古くから味方町の小さな薬師堂に納められ、付近の人が薬師講をつくって祀っていたものである。近年宝住寺境内に新しい薬師堂を建て、本尊として祀っている。

 像形は量感にあふれており、藤原時代の特徴をよく備えているが、稚拙なところもあり、地方仏師の作と考えられている。
 耳の形、頬から顎への肉付け、三道の表し方、胸から腹部への造形に見るべきものがあるが膝辺の彫法が少し形式化し、薄い造りになっているのは後世に手が加えられたものであろう。

 宝住寺は永正年間(1504〜20)教山至道によって開かれた臨済宗妙心寺派の寺院で、牛の置物のコレクションや十八羅漢を配した大心字庭で知られている。


子安地蔵尊
「母の願いが700年の時を超える」 現在も安産のお礼にと、新しい前掛けに誕生日と名前を書き、お礼に訪れる夫婦がいる。
その前掛けを持ち帰り、祈る母がいる。
そしてまた、新しい前掛けが安国寺に届けられる・・・